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ペリィのアマクサン・ライフ
ペリィのアマクサン・ライフ:3
2010年6月
2010年06月15日
 とりあえず働くことにした。
 日給五千五百円、半年契約で雨の日は休み。
 名目は町役場の臨時職員。仕事内容は林道の草刈り。まず役場で出勤簿にハンコを押し、それから作業道具置き場へ。平均年齢が五十歳くらい、作業服に長靴、野球帽…、という出で立ちの男たちが軽トラに草刈機(正式名称は「草払機」)や油入れを積み込んでいる。時間が来たらそれぞれの作業場へ分かれる。
 みんな陽焼け顔でニコニコ会話を交わしている。問題はその「会話」なのだ。
 まだこの、のどかな島へ引越しして間もない頃、家から近い病院に看護士として勤務したばかりの妻と、転校したての長男が天草弁の難解さについてよく語り合っていた。親類のおじさん、おばさん、従兄弟たち、長女や次女が通う保育園の先生…など、僕の自身も仕事はしていなかったが天草の人たちと話す機会は多かった。まさか、職場内の言語がそれと異なるとは思ってもみなかった。そう、ここの人たちはちゃんと使い分けていたのだ。ぼくらのような都会人相手には標準語、地元の人たちには方言丸出し…。
 さて、作業道具置き場に集う十五人の臨時職員は、僕が大阪出身だからといって、標準語で会話してくれる…はずがなく、当然、天草弁の強烈なナマリを飛ばしあい、ぼくを言語の闇へと追い立てたのだった。
「こん人、みぞか子三人もおっとや?(この人には可愛い子が三人もいるのか?)」
「じゃっと。(そう、そう)」
 その日、はじめての草刈り労働が都会育ちのぼくにとって、どれほどきつかったかは想像できると思う。
2010年5月
2010年05月30日
 五月の出来事、富岡城の麓に「鎮道寺」という浄土真宗系のお寺がある。かつて勝海舟が何度も足を運んでは「落書き」を残していった場所らしい。
 そこが運営する保育園に「自宅から近い」という理由で、ぼくの長女と次女を通わせている。
 ある日曜日、お釈迦様のバースデーを祝う行事「花祭り」があr、親子で参加した。
 まずお堂に全員集合し、園児らの唱がはじまる。「わたしたちはお釈迦様の子です…云々」続いて先生と園児がラジカセのテープに合わせて長々とお経を読む。
 後ろの方に座る少し困惑気味の父母らに囲まれ、私用のため、しばらく大阪にいて天草へ帰ってきたばかりのぼくは、これを「祭り」と証する保育園の肝の太さに驚いてしまった。
 その後みんなで白い象さんの人形を引っ張りながら街を歩くのだが、長女が過剰に拒否反応を示したのを理解できないわけではない。
 全く信仰心がないのはおそらくわが家だけではないはずだ。もしそれが分っているなら、園はもう少し「祭り」を楽しいものにするよう努力した方がいいのではないか。
 子どもらが長々とお経を読むあいだ、ぼくは数年前になくなった父の葬儀を思い出し、どでかい仏像の前で泣きたくなった。「こんな悲しいお祭りがあっていいのか」と。
2010年4月
2010年05月07日
 はじめましてペリィです。
 2010年3月、およそ四十年住みついた大阪を離れました。そして熊本のはしっこにある天草半島のまたはしっこの「富岡」という場所に引っ越してきました。ここで生まれ育った母の実家があるからです。
 十年前、ぼくの父と祖母の三人で暮らせるよう設計された家が建ってあるのですが、残念ながら母以外の二人は亡くなってしまいました。そこで都会から離れて子育てしたいと思っていたぼくと妻が、この有明海と東シナ海に囲まれた富岡の家へ移住することを決意したのです。
 正直にいうとぼくにとって何より不安なのは都会慣れしたからだがこんな田舎に適応できるのか…ということより、いつまでも親の顔でぼくに指図ばかりする母と衝突せずに同居できるか…ということです。
 これはとても深刻な問題。
 お互い人の話を聞くよりしゃべる方が好きなので会話にならないし、例えばゴミの分別のやり方を母にたずねても、「お前の捨て方は間違ってる」としか言わないし、「そんな失礼な教え方があるか」とこちらが怒っても、「お前はつまらないことですぐ怒る」などと言い返す。まあ、そんな母も今年で75歳を迎えるのだからあまりムキにならないよう気をつけたいと思います。
 では、これからツタナイ文章ではございますが、「アマクサン・ライフ」を少しずつ報告しますのでどうかヨロシクお願いします。
(2010.4.5)